東京地裁で東京都立高校の教職員らが都教育委員会を相手に起こした裁判で国旗国歌強制は違憲という判決が下された。 <ニュースはこちら>
いろいろ記事を読んでいて、私としては残念な記述を見つけた。
asahi.comの記事によると、
===
難波裁判長は、日の丸や君が代が皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきた経緯に言及。式典での掲揚や斉唱に反対する主義・主張を持つ人の思想・良心の自由も憲法上保護に値する権利だと述べた。
通達について「教育の自主性を侵害し、一方的な理論や観念を生徒に教え込むことに等しい」と指摘。
===
という事だ。
特に残念なのは「一方的な理論や観念を生徒に教え込むことに等しい」という指摘。
はたして国旗掲揚・国歌斉唱が一方的な理論や観念なのだろうか。
裁判長が指摘するとおり、かつての日本では国旗・国歌が皇国思想や軍国主義思想のシンボルとされたのは事実であるが、一般的な国旗・国歌に対する考え方とはずれている気がする。
普段、国旗・国歌に触れる機会が多いのは国際的なスポーツイベントではないだろうか。
勝利を称えるために、勝利者の属する国の国旗を掲揚し国歌を吹奏する。
私の好きなモータースポーツの世界でも同じで、多くの人が目にする機会があるのはF1の表彰式でしょう。(もーすぐ日本グランプリですねぇ~)
F1の表彰式でも表彰される人の属する国の国旗を掲揚し、勝利者・勝利チームが属する国の国歌が吹奏される。
国旗掲揚・国歌吹奏が始まると表彰される人達は帽子を取り姿勢を正します。時には初めて表彰台に昇るような若い選手が帽子を取らないでいると、横にいるベテラン選手が帽子を取るよう促しているシーンに出くわすこともある。
国旗掲揚・国歌吹奏に対し帽子を取り姿勢を正すのは相手に対して敬意を表す行為であり、国際的なマナーなのである。
オリンピックなどの他のスポーツイベントでも同じだ。
今年の夏、日本中を沸かした高校野球。
ここでも試合が終わると勝利チームを称えるために、チームが属する学校の校旗を掲揚し校歌の吹奏が行われる。基本的な考え方は国旗・国歌の場合と同じで勝利を称え敬意を払う行為のはずだ。
国旗掲揚・国歌吹奏という行為は決して一方的な理論や観念に基づいたものではないはずで、学校の式典で行われる国旗掲揚・国歌吹奏(斉唱)も自らが属する国に敬意を表す行為のはずだ。
少なくとも今の行政に皇国思想や軍国主義思想というものがあるとは思えない。(一部の人にはそういう思想も有るかもしれないが、全体としての方向性としては無いと思う)
逆に、国旗・国歌を皇国思想や軍国主義思想に結びつける方が、現代では偏った一方的な思想だと言えるのではないだろうか。
国際的なマナーである国旗・国歌に対し敬意を払うという行為は教育現場で教えるべき事ではないだろうか。
自国を愛し敬意を払うことはもちろんだが、特に他国に対し敬意を払うという意味で重要なマナーだと思う。
過激な愛国心は他国を敬う気持ちが薄れて争いにつながる危険な思想を生むかもしれないが、基本的な自国を敬う気持ち、そして他国を敬う気持ちというのは大切ではないだろうか。
そういった意味で、マナーと言える行為を踏みにじることが裁判で正当化されるのは残念に思う。